序
キングダムという漫画を読みまして、秦のことを調べていたのだが(そんなことをしている場合かという突込みはさておき)、中国の歴史からは多くの故事が生まれています。その中でも、アホとバカの語源は興味深いです。そこで「アホ」と「バカ」の語源を探ろうというのが今回の投稿の趣旨である。この記事の所要時間は、【4.5分】です。- 秦とその滅亡【0.5分】
- 語源【3.5分】
- まとめ【0.5分】
1. 秦とその滅亡
まず、秦という国について書きたいと思います。周のあとには春秋・戦国時代には7つの国に分かれました。![]() |
| wikipedia commons より |
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| wikipedia commons より |
秦はその後、統一王朝を立てるが、これは残念(?)ながら始皇帝の死からすぐに滅亡します。この投稿では、この秦王朝期及びその後に起きた出来事に関する語源(一説)を紹介します。
・阿保;阿房宮が語源となった説
・馬鹿;史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事を語源とする説
2. 語源
2-1. アホ
阿房宮とは、以下のようなものです。秦の始皇帝が建てた大宮殿である。咸陽とは渭水をはさんで隣に位置していた。遺跡は、陝西省西安市西方13kmの阿房村に残っている。始皇帝の死後も工事が続いたが、秦の滅亡によって未完のままで終わった。(出典wiki:阿房宮)
阿房宮については、杜牧の「阿房宮の賦」を記述するのが分かりやすいです。
六国の諸王の時代は終わって、天下は秦の始皇帝によって統一された。蜀の山は裸となり、阿房宮は出現した。宮殿は二百餘里を覆い、屋根が日を遮った。驪山の北に作られて西に折れ、そのまま宮殿は直ちに咸陽におもむく。二つの川は豊かに流れて宮殿に入る。5歩めば高い楼閣が、10歩めば2階建ての建物が有る。渡り廊下は建物をゆるやかに迴って、軒先に突き出た垂木の端は高く何かをついばむ感が有る。建物は各々の地勢に随って建ち、かぎ状の尖った楼閣の頂きは高さを競っている建物は屈折して曲がりくねって並ぶ。 蜂の巣と水の渦の様に多く高くそびえて幾千萬の殿堂が有るか解らない。
渭水にかけた長い橋の波の上に横たわるのは、雲もないのに何の龍だろうか。2階建ての廊下空を行くのは、晴れてもいないのに何の虹だろうか。宮殿は高く低く暗く迷よいやすく、西も東も解らない。歌を歌う台のあたたかい響きは、春の光の、のどかな様子。舞を舞う建物の冷たいそでは、風雨が身にしみる風情だ。1日の?に、1つの宮殿の中で、氣候は同じではない。
(中略)(原田俊介氏のHPより抜粋)
ああ、一人の心は、千萬人の心だ。秦が豪華・奢侈を愛せば、民はまたその家を思う。なんでこれを取ること微細をつくして、これを用うること泥沙のごとくする。むなぎを背負う柱をして、農地の農夫よりも多く、はりを架ける樽をして、機上の工女よりも多く、釘の頭の輝きをして、 蔵に有る粟粒よりも多く、瓦の継ぎ目の入り乱れて交錯する事は、全身の絹の糸筋よりも多く、縦横に連なる手摺りをして、中国全土の城郭よりも多く、音楽の乱雑で騒々しい様子して、市に集まる人の言語よりも多いのである。天下の人をして、あえて言はないがあえて怒らしむ。民心を失った暴君の心は、日にますます驕りたかぶり。辺境を守る兵卒叫んで函谷関が陥落する。楚人の一炬に、憐れむべしこの宮殿は焦土となった。ああ、六国(中国戦国時代末期の齊、楚、燕、韓、魏、趙の六国)を滅す者は、六國であって、秦ではない。秦を族(一族皆殺し)する者は、秦であって、天下の人民では無い。ああ、もし六國おのおのその民を愛せば、すなわち以て秦をふせぐに足りたろうに。秦はまた六國の民(たみ)を愛せば、則ち三世より遞(たが)いにして萬世に至りって君主だったろう、誰かへて族滅したろうか。
阿房宮は相当豪華な宮殿であったようです。またその跡地は現在、再建されて見物できます。後段の宮殿が焦土となった場面は木村武山の「阿房劫火」に見ることができます(注)。
最後にアホの由来ですが、
阿房宮の増設により国を疲弊させたことから、阿呆(あほう、アホ)の語源であるという説が言われているが、その信憑性は疑問視されている。(出典wiki:阿房宮)とされています。
2-2. バカ
これも諸説あるが、(以下のように)司馬遷の史記にでてくるエピソードを語源とする説が有力のようです。
史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事を語源とする説
最も普及している説。秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。しかし「馬鹿」のうち鹿の「か」は訓読みであり、中国風の音読みで馬鹿を「ばか」と読むことはできないなどの問題がある。(出典:wiki:馬鹿)この後、趙高は胡亥を殺したりやりたい放題するのだが、これを怨んだものに殺されることになります。結果的にはバカ(と言えるレベルかはともかく)といえるのかもしれません。
3. まとめ
このようにアホもバカも(諸説あるが)秦の時代の建造物や故事が語源のようです。漫画にも出てくるが、中国の歴史の中でも、「色々と凄い」時代だったのかもしれません。8月21日初稿・修正
12月13日若干の修正



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